『チェンソーマン』第二部、マキマの死で終わらなかった本当の理由って結局なんだっけ?

ネタバレ注意。第二部「学園編」を最新話まで追ってる人だけ、このまま読んでくれ。
深夜2時、スマホ片手に「アサのあの台詞、結局なんだったの?」とモヤモヤしてる人へ。第一部の伏線が第二部でどう回収されてるか、俺なりに全部洗い直した。
マキマが「支配の悪魔」だった意味を、第二部で読み直す
第一部のラスト、マキマはデンジに食われた。それで終わり、と思ってた。
違った。
第二部に入ってからの描写を時系列で並べると、「支配の悪魔」というギミックは単なるラスボスの能力じゃなく、この物語全体の構造そのものだったことが見えてくる。読者がデンジに感情移入する仕組みすら、支配の構造の一部として組み込まれてる。藤本タツキの作劇は、登場人物だけじゃなく読者まで巻き込んでる。これに気づいた瞬間、背筋が冷えた。
三鷹アサ=戦争の悪魔ヨル、この二重人格の伏線が地味に怖い
アサの一人称が物語の途中で揺れる箇所がある。気づいたか?
初登場の独白では「私」で統一されてたのに、ヨルとの会話シーンを経た後、アサの内面描写に「アタシ」が混ざる回が出てくる。最初は単なる作画ミスかと思った。でも違う。これはアサが少しずつヨルに侵食されてる過程を、文体レベルで見せてる。
| 時点 | アサの一人称 | 読者へのヒント |
|---|---|---|
| 第二部初期 | 「私」 | 純粋にアサ本体 |
| ヨル契約後 | 「私」と「アタシ」が混在 | 侵食の進行 |
| 学園編中盤 | 夢の中で逆転する場面あり | 主格の交代示唆 |
このギミック、第一部のパワー&ニャーコの関係と対称になってる。藤本タツキは同じ構造を別角度から二度描く作家だ。だから第二部のラストで、誰がアサの体の主導権を握ってるかは、第一部を覚えてる読者ほど予測がつく。
デンジが「普通の高校生」をやってる違和感、あれ伏線
第二部のデンジ、なんか緩くない?
第一部であれだけ壊された男が、学園生活を「演じて」る。チェンソーマンとしての公的活動を停止して、ただのデンジに戻ってる。読者の多くは「マキマ後のデンジが幸せそうでよかった」と読んでるはず。
俺はそう読まなかった。
結局、第二部のテーマって「恐怖の悪魔の不在」じゃないか
第一部で恐怖の悪魔は重要な役割を持ってた。第二部で名前が出る頻度が激減してる。これがずっと引っかかってる。
恐怖は人類が最も持ち続ける感情だ。なのにその悪魔が物語の前線にいない。理由はひとつしかない。恐怖の悪魔は今、誰かの中に潜んでる。
候補は三人。デンジ、アサ、そしてまだ名前を出してない第三のキャラ。俺の予想は三番目だ。理由はここでは書かない。最新話を読み直してくれ。気づいた人にだけ、ぞっとする仕掛けが仕込まれてる。
深夜に読み返すなら、第一部のここ
第二部の伏線を理解するために第一部を読み直すなら、おすすめは77話前後。マキマがデンジに「家族」の話をする場面だ。あの台詞、第二部のアサの境遇とほぼ同じ構造で反復されてる。
気づいた?
気づいたなら、君はもう第二部の結末の半分まで来てる。
残り半分は、来月の更新を待つしかない。