宮島・霊火堂が全焼、1200年燃え続けた「消えずの火」はどうなったのか

空海が修行したと伝わる宮島・弥山の霊火堂が焼けた。1200年以上燃え続けたとされる「消えずの火」。あの炎はいま、どうなっているのか。
弥山の上で、お堂が燃えた
広島県廿日市市、宮島の弥山(みせん)にある霊火堂で火災があった、との報道がある。標高535メートルほどの山頂付近、ロープウェーを降りてさらに歩いた先に建つお堂だ。
続報では火の勢いは収まったと伝えられている。一方で、霊火堂が全焼したとする報道もある。「収まった」と「全焼」が並んで流れてくると、頭の中で像がうまく結ばない。燃え広がりは止まった、けれど建物そのものは残らなかった——そういうことらしい。
ただの山小屋の火事なら、ここまで広く報じられていない。注目されたのは、お堂の中で燃えていた火に名前があったからだ。
「消えずの火」が1200年生きてきた
霊火堂の火は「消えずの火」と呼ばれてきた。弘法大師・空海が約1200年前にこの弥山で護摩を焚いて修行し、そのときの火が一度も絶えることなく守り継がれてきた、と伝わっている。
火にはいくつもの言い伝えがついている。堂内の大茶釜で沸かした湯を飲むと万病に効くとされ、縁結びの火としても親しまれてきた。カップルがわざわざ山を登って鐘を鳴らしに行く——そういう場所でもあった。
もうひとつ、見落とせない話がある。広島平和記念公園にある「平和の灯」。その元になった火のひとつとして、この弥山の「消えずの火」が使われたとも伝えられている。だとすれば、あの炎は宮島の山の上だけにあったわけではない。
「1200年」が重すぎて、SNSがざわついた
この一報に反応した人の多くが、まず「1200年」という数字で詰まっていた。平安京ができたころからずっと燃えていた火、と言われても、スケールが大きすぎて感情が追いつかない。
「1200年って平安時代より前から燃えてたってこと?その時点で頭がバグる」という声もある
もうひとつ多かったのが、自分の記憶と結びつける反応だった。修学旅行で行った、去年あの鐘を鳴らした、写真が残っている——個人のアルバムの中に、あのお堂が当たり前のように写っている人がそれなりにいる。
「数年前にあそこで湯を飲んだ。あの場所がもうないかもと思うと、ニュースが急に自分ごとになった」という声もある
そして、ネット上では「火種は平和の灯に残っているのでは」という指摘も出ている。完全には消えていない、と思いたい。その気持ちは、たぶん画面の向こうの多くの人に共通している。
「消えない」は、誰かが毎日そこにいたということ
ここで少し立ち止まりたい。「消えずの火」と聞くと、ひとりでに燃え続ける不思議な炎を想像してしまう。でも実際は逆だと思う。
1200年というのは、約44万日だ。その間ずっと、誰かが薪をくべ、火の様子を見て、雨や風から守ってきた。火が消えなかったのは奇跡ではなく、ほぼ毎日続いた「出勤」の積み重ねだった。永続って、放っておいて手に入るものじゃない。誰かが毎朝そこにいた、その記録のことだ。
俺がこのニュースで一番こたえたのは、そこだった。1200年守られた火が、一度の火災で危うくなる。守り続けるコストは毎日かかるのに、失われるときは一晩で足りてしまう。非対称すぎないか。
| わかっていること | まだ確認できないこと |
|---|---|
| 弥山の霊火堂で火災があった | 「消えずの火」自体が残ったか消えたか |
| 火の勢いは収まったと報じられた | 出火の原因 |
| 霊火堂が全焼したとする報道がある | 霊火堂の再建の見通し |
救いがあるとすれば、さっきの「平和の灯」の話だ。火種が別の場所にも分けられているなら、弥山のお堂が焼けても、その火の系譜が完全に途切れたとは限らない。お寺の火は分灯される——一カ所が消えても、よそで燃えている。そう考えると、少しだけ呼吸が楽になる。
再建されるのか、火そのものは無事だったのか。続報を待つしかない局面だ。ただ、もし火がまた弥山に戻るとしたら、それはたぶん奇跡が起きたのではなく、また誰かが毎日そこに通い始めた、というだけの話なのだと思う。
この火、戻ってくると思う?