人類の9割が右利きなのはなぜか — 35万人ゲノム解析が突き止めた『チューブリン』という骨組み

地球上の人類のおよそ9割が右利き。この奇妙なまでに偏った比率の正体に、マックスプランク研究所が遺伝子レベルで迫った。鍵は細胞の中の『骨組み』だった。
9割対1割という、人類だけの異常な偏り
チンパンジーやゴリラは、群れ全体で見るとほぼ五分五分。右手をよく使う個体もいれば、左手をよく使う個体もいて、種としての偏りはほぼゼロに近い。
ところが人類だけは違う。世界のどの地域、どの民族をとっても、おおむね9対1の比率で右利きが多数派になる。文化や教育で説明しようとした研究は山ほどあるが、左利きを矯正してきた歴史を差し引いても、この比率は揺るがない。
右利き:約88〜90%
左利き:約10%
両利き:約1%
—この比率は産業革命期の記録を遡っても大きく変わっていない
胎児の超音波映像を撮ると、すでに親指をしゃぶる手に偏りが出ている。生まれてくる前から、利き手は決まりかけている。
マックスプランク研究所が見つけた『TUBB4B』という遺伝子
2024年に発表された研究で、オランダ・マックスプランク心理言語学研究所のClyde Francksらのチームが、英国バイオバンクに登録された約35万人分のゲノムデータを解析した。狙いは、左利きの人に特異的に多い遺伝子変異を見つけ出すこと。
浮かび上がってきたのが TUBB4B という遺伝子だった。チューブリンというタンパク質を作るための設計図で、このタンパク質は細胞の中で『微小管』と呼ばれる骨組みを構築する。
微小管は、細胞が分裂したり形を変えたりするときの足場になる。脳の発達期には、神経細胞が左右どちらに伸びるかを決める基本構造でもある。
・対象:英国バイオバンク 約35万人
・左利きでTUBB4Bの稀少変異を持つ確率は右利きの約2.7倍
・掲載:Nature Communications(2024年)
・著者:Sha, Z., Francks, C. ら
『脳の左右非対称性』という、もう一段深い話
人間の脳は左右で役割が違う。言語をつかさどる領域は多くの人で左脳に偏っている。右利きの人の95%が左脳優位、左利きでも約70%は左脳優位。利き手と脳の偏りは、別々の現象ではなく同じ根を持つと見る研究者が多い。
研究チームは論文の中で、TUBB4Bの変異が脳発達の極めて早い段階——胚が左右対称から非対称へと『折れ曲がる』瞬間——に影響している可能性を示唆している。
「利き手は、脳の左右非対称性という巨大なパズルの、見えやすい一角に過ぎない」
— Clyde Francks(論文インタビューより要旨)
つまり、なぜあなたが右手で箸を持つかという小さな問いの裏には、なぜ人類の脳は左右で機能が違うのかという、もっと大きな問いが横たわっている。
ただし、すべての左利きをこの遺伝子で説明できるわけではない
ここは正確に書いておきたい。今回見つかったTUBB4Bの稀少変異を持っている左利きは、左利き全体のごく一部に過ぎない。残りの大多数の左利きは、別の遺伝的要因、あるいは胎内環境や偶然の発達上のゆらぎで決まっていると見られている。
| 説明できること | まだ説明できないこと |
|---|---|
| 微小管が脳発達期の左右非対称化に関わるしくみ | なぜ人類だけ9対1の比率で固定されたのか |
| 稀少変異と左利きの相関 | 左利き全体のうち遺伝で説明できる割合 |
| 利き手と脳の偏りが連動する理由の一端 | 双子で片方だけ左利きになる現象 |
一卵性双生児——遺伝情報がほぼ同一の二人——でも、片方が右利きで片方が左利きになるケースは珍しくない。遺伝だけでは決まらない何かが、確かに働いている。
毎朝、スマホを右手で持ち上げているその動作の話
枕元のスマホを取るとき、どちらの手で取ったか。コンビニで小銭を渡すとき、どちらの手から出したか。意識せずやっている動作の裏に、35万人を解析しても断片しか見えてこない、人類規模の謎が眠っている。
左利きが少数派であり続けてきた進化的な理由については、まだ仮説の段階。狩猟採集時代に右利き同士のほうが道具を共有しやすかった、戦闘で左利きは不意打ちが利くから一定数残った——どれも完全な証明には至っていない。
科学が9対1の比率を完全に解き明かす日は、まだ来ていない。来ていないけれど、確実に近づいている。
あなたの利き手は?
参考・出典
- Rare protein-altering variants in TUBB4B and other genes implicated in left-handedness (Sha, Z., Schijven, D., Fisher, S. E., Francks, C., 2024) — Nature Communications
- Handedness, language areas and neuropsychiatric diseases: insights from brain imaging and genetics (Ocklenburg, S., Berretz, G., Packheiser, J., Friedrich, P., 2021) — Brain
- Genome-wide association analyses of handedness in the UK Biobank (Cuellar-Partida, G., Tung, J. Y., Eriksson, N., et al., 2020) — Nature Human Behaviour