染色体が倍になった細胞は、なぜ死なないのか — がんの起点を探る細胞生物学

染色体が倍になった細胞は、普通なら自殺する仕組みになっている。なのに一部だけは平気で生き残り、やがてがんの種になる。その『生き残り組』がどうやって死を回避しているのか、ようやく仕組みが見え始めた。
細胞分裂の事故は、いまこの瞬間も起きている
細胞は分裂するとき、染色体をきれいに二つに分ける。精密な作業で、たいていは問題なく終わる。だが何百万回に一回、分裂に失敗して、染色体が分かれずに一つの細胞に残ってしまうことがある。
生まれるのは、本来46本のはずの染色体を92本抱えた『四倍体細胞(テトラプロイド)』。倍量のDNAを背負った、不気味な細胞だ。
体はこういう細胞を見逃さない監視役を持っている。『お前は壊れている、自殺しろ』と命令を出すp53というタンパク質だ。腫瘍抑制遺伝子と呼ばれ、がん研究の主役級として40年以上研究され続けている。
生き残った細胞だけがやっていること
近年の細胞生物学研究によれば、生き残るテトラプロイド細胞には共通の特徴があるという。p53の信号を受け取っても、その先の『実行スイッチ』を切ってしまえる仕組みを持っている。
具体的には、ミトコンドリア(細胞のエネルギー工場)の働き方を組み替え、アポトーシスを起動するために必要なタンパク質の放出をブロックする。命令は届いているのに、実行されない。電気は通っているのに、ボタンが効かない冷蔵庫のような状態に近い。
研究チームはこの『実行ブロック機構』に関わる遺伝子をいくつか特定したと報告している。その遺伝子の働きを薬で止めると、生き残っていたテトラプロイド細胞も整然と死んでいくという。
なぜがん研究者がこの現象を追うのか
進行がんの患者数千人を大規模に解析した研究で、衝撃的なことが見えている。がんゲノムの約3割で、まさにこの染色体倍化『全ゲノム倍化(WGD)』の痕跡が刻まれていた。
つまりがんは多くの場合、染色体を倍にした細胞が死なずに生き残ったところから始まっている可能性が高い。死ねなかった細胞は、その後さらにDNA変異を蓄積していく時間的余裕を持つ。倍量のDNAは『予備パーツ』のように働き、致命的な変異が起きても他のコピーで補える。
たちが悪い、と言ってしまえばそれまでだが、進化的に見れば理屈は通っている。生き延びる力のある細胞だけが残り、その『生き延びる力』こそが、宿主にとっては腫瘍化のリスクになる。
ただし、すべての倍化細胞が悪者ではない
注意点が一つ。染色体倍化そのものは、必ずしも病気のサインではない。
たとえば肝臓。健康な大人の肝細胞の半分近くは、もともとテトラプロイドだ。体が必要だから、わざとそういう細胞を作っている。傷を治すとき、染色体に予備があるほうが有利らしい。胎盤の栄養膜細胞も同様で、こちらは八倍体、十六倍体までいく場合もある。心臓の細胞や巨核球(血小板を作る細胞)も似た仕組みで動いている。
研究チームはこの仕組みを活用した新しいがん治療薬の可能性に触れている。生き残るためのスイッチを狙い撃ちすれば、まだがんになっていない『予備軍』の段階で除去できるかもしれない。臨床応用までには時間がかかるが、方向性としては筋が良いと読める。
眠っている間にも、生まれて消えている
あなたの体の中で、いま読んでいるこの瞬間にも、細胞分裂に失敗した細胞がいくつか生まれている。そのほとんどは黙って処分されていく。たまに、処分を逃れたものがいる。
大半は無害なまま静かに消える。ごく一部が、何十年も生き残り、何かのきっかけで暴走する。その『何か』を防ぐ手立てを、人類はまだ完全には持っていない。
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参考・出典
- Whole-genome doubling confers unique genetic vulnerabilities on tumour cells (Quinton RJ, DiDomizio A, Vittoria MA, et al., 2021) — Nature
- Genome doubling shapes the evolution and prognosis of advanced cancers (Bielski CM, Zehir A, Penson AV, et al., 2018) — Nature Genetics
- Cytokinesis failure generating tetraploids promotes tumorigenesis in p53-null cells (Fujiwara T, Bandi M, Nitta M, et al., 2005) — Nature