うつ治療の標的が『脳』から『免疫』へ — 抗炎症薬が効いたのは、炎症が高い人だけだった

抗うつ薬を何種類変えても効かない人の血液には、共通点がある。炎症の数値が高い。脳のセロトニンではなく免疫を叩いたら、気分が動いた——ただし、炎症が高かった人だけ、だった。
うつの薬ですらない薬が、気分を動かした
話の出発点は、抗うつ薬ですらない。関節リウマチやクローン病に使う「インフリキシマブ」という薬だ。体内で炎症を起こす物質TNF(腫瘍壊死因子)の働きを止める抗体製剤で、免疫を抑えるのが本業。気分とは無関係のはずだった。
米エモリー大学のチャールズ・レイソンらが2013年に行った臨床試験で、妙なことが起きる。何をしても良くならない「治療抵抗性うつ病」の患者60人に、この薬かニセ薬(プラセボ)を投与した。全体の平均で見れば、差はない。両群とも似たような回復ぶりだった。ところが投与前の血液を炎症の強さで二つに分けると、景色が一変する。
同じ診断名の「うつ病」を、一本の採血が二つに分けてしまった。
「風邪をひくと気分が沈む」を、まじめに調べた人たち
そもそも、なぜ免疫がメンタルに効くのか。手がかりは、誰もが経験している。インフルエンザで寝込んだとき、体がだるいだけでなく、何もする気が起きず、人と話すのも億劫になる。あの状態だ。
免疫学ではこれを「sickness behavior(病気行動)」と呼ぶ。感染すると、免疫細胞が出すサイトカイン(細胞どうしの連絡物質)が脳に届き、「省エネモードに入れ」と命じる。だるさ、引きこもり、食欲低下、気分の落ち込み——うつ病の症状リストと、不気味なほど重なってくる。
体を守るための一時的な落ち込みが、何かの理由で消えずに居座ったら? それは外から見れば、うつにしか見えない。これが免疫の側から眺めたうつ病の仮説だ。
従来の考え方と並べると、見ている場所がまるで違う。
| これまでのモデル | 免疫から見たモデル | |
|---|---|---|
| 原因の場所 | 脳内の神経伝達物質(セロトニンなど) | 体内でくすぶる慢性的な炎症 |
| 使う薬 | SSRIなどの抗うつ薬 | 抗炎症薬・抗体製剤(まだ研究段階) |
| 効きそうな相手 | 幅広い患者 | 炎症マーカーが高い一部 |
| 見分ける手がかり | 問診・症状 | 採血(CRPなど) |
「気分の落ち込みは、心ではなく体の炎症から来ることがある」——この見方、どう受け取る?
これって、あなたの「重い日」にも関係する
慢性的な炎症は、感染症だけで起きるものじゃない。睡眠不足、強いストレス、内臓脂肪、喫煙——どれも体内の炎症レベルをじわじわ押し上げることが知られている。徹夜が続いた試験週に、理由もなく気分が沈む。あれを「ただの疲れ」で片づけてきたけれど、体の内側では実際に何かが起きている可能性がある。
もちろん、寝不足で炎症が上がる=即うつ、という単純な話ではない。だが「心の問題」と「体の状態」を別々の箱にしまう発想そのものが、いま揺らいでいる。気分の落ち込みを血液の数値で語る試みは、研究の現場ではもう動き出している。
ただし、抗炎症薬を飲めば解決、とはいかない
盛り上がる話ほど、冷たい注釈が要る。さっきの試験、全体では差がつかなかったことを忘れないでほしい。効いたのは「炎症が高い一部」だけ。うつ病の人みんなに抗炎症薬が効く、という結論ではない。
炎症マーカーが上がっているうつ病の患者は、報告によってばらつくが、おおむね3人に1人ほどとされる。残りの人にとって免疫を抑える薬は的外れになりうるし、TNFを止める薬には感染症のリスクと高い費用がついてくる。市販の痛み止めを気分のために飲む、なんてのは論外。抗炎症的なアプローチ全般を集めた2019年のメタ分析(複数の臨床試験をまとめて解析する手法)でも、うつ症状を軽くする効果は一定みられたものの、研究ごとのばらつきが大きく、「誰に・どの薬が」効くのかはまだ詰め切れていない。
次に気分がどん底まで落ちたとき、原因は「心の弱さ」ではなく、体のどこかでくすぶる火なのではないか——そう疑う研究者が、静かに増えている。
参考・出典
- A Randomized Controlled Trial of the Tumor Necrosis Factor Antagonist Infliximab for Treatment-Resistant Depression: The Role of Baseline Inflammatory Biomarkers (Raison CL, Rutherford RE, Woolwine BJ, et al., 2013) — JAMA Psychiatry
- The role of inflammation in depression: from evolutionary imperative to modern treatment target (Miller AH, Raison CL, 2016) — Nature Reviews Immunology
- Efficacy of anti-inflammatory treatment on major depressive disorder or depressive symptoms: meta-analysis of clinical trials (Köhler-Forsberg O, Lydholm CN, Hjorthøj C, et al., 2019) — Acta Psychiatrica Scandinavica