凍った海に海水をまいて氷を厚くする — 北極で進む『どれだけもつか』という実験

凍った海に海水をまいて氷を厚くする — 北極で進む『どれだけもつか』という実験
この記事は研究・論文の内容をわかりやすく紹介したものです。詳細は原著論文・原典をご確認ください。

氷点下の北極で、わざわざ海水を汲み上げて氷の上にまく。すると一冬で氷は数十センチ厚くなった。引っかかるのは、その氷が夏まで残るとは限らない点だ。

氷を「足す」という発想

北極海の氷は冬に張り、夏に解ける。普通に考えれば、人間が手を出せる規模の話ではない。ところが「冬の寒さをもっと使えばいいのでは」と考えた人たちがいる。

仕組みは拍子抜けするほど単純だ。氷に穴を開け、下の海水をポンプで吸い上げて表面にまく。汲み上げた海水はおよそマイナス1.8度。これがマイナス30度の外気にさらされて、すぐに凍る。氷の上に新しい氷を一枚重ねていくイメージだ。

もう一つ効く理屈がある。氷の上に積もった雪は布団のように働いて、海水が下から凍りつくのを妨げる。表面に水をまいて雪を押し固めると、その断熱が弱まり、氷の裏側でも凍結が進む。上下から厚くなる。

英企業Real Iceがカナダ・ケンブリッジベイで行った冬の実地試験では、ポンプで海水をまいた区画の氷が、何もしない区画より最大で50センチ近く厚くなったと報告されている。

誰が、どこで試しているのか

この「氷をまく」アイデア自体は新しくない。アリゾナ州立大学のSteven Deschらが2017年に学術誌『Earth's Future』で具体的な試算を出している。北極海の1割ほどに風力ポンプを1000万基ばらまけば、一冬で氷を平均1メートル厚くできる、というものだ。問題はその費用で、見積もりはざっと5000億ドル規模。地球の裏側まで届く数字に見える。

論文上の構想を、実際の氷の上に持ち出したのがReal Iceというイギリスの団体だ。2024年と2025年の冬、カナダ北極圏のケンブリッジベイで小規模な試験を重ねている。将来は海中ドローンに自動でポンプ作業をさせる構想を掲げているが、いまは人が穴を開けて水をまく段階にとどまる。

Deschらの構想(2017)Real Iceの試験(2024-25)
段階数値モデルによる試算現地での小規模実証
規模北極海の約10%試験区画レベル
動力風力ポンプ1000万基小型ポンプ(将来はドローン化を構想)

つまり片方はまだ紙の上の数字で、もう片方はようやく氷の上に立った段階。どちらも「実用化された技術」とは呼べない。

なぜ北極の氷が、あなたの夏に効いてくるのか

白い氷は太陽光をはね返す。これが解けて黒い海面が広がると、今度は熱を吸い込む。吸い込めばもっと解ける。北極が温暖化の「増幅器」と呼ばれるのはこの循環のせいだ。

そして北極の異変は北極だけで完結しない。極と中緯度の温度差が縮むと偏西流(ジェット気流)が蛇行しやすくなり、日本を含む中緯度の熱波や寒波、長雨の出方に影響するという議論が続いている。去年の夏の異常な暑さを思い出すなら、遠い氷の話とも言い切れない。

Notz と Stroeve が2016年に『Science』で示したように、夏の北極海氷の縮小量は、人間が出してきた二酸化炭素の累積排出量とほぼ比例して進んできた。あなたがコンビニまで車を出した分の排出も、わずかながらこの直線の上に乗っている。氷を厚くする実験は、その直線をどうにか曲げられないかという悪あがきでもある。

北極の氷を人工的に厚くする試み、あなたはどう受け取る?

「で、どれだけもつの?」が一番の弱点

ここが見出しにもなっている肝だ。冬にどれだけ厚くしても、夏が来れば氷は解ける。足した分も例外ではない。つまりこれは一度やれば終わる工事ではなく、毎冬くり返さないと意味をなさない作業に近い。

海水をまく行為そのものにも副作用がある。海水には塩が含まれていて、表面で凍るときに塩分(かん水)が残る。これが積み重なると氷の性質や周りの生態系に影響しかねない、と研究者は慎重だ。汲み上げに使う電力をどうまかなうのか、北極海の広大さに対してそもそも追いつくのか、という現実的な壁も大きい。

氷を厚くする技術は、温暖化そのものを止めるものではない。研究チームも「排出削減の代わりではなく、時間を稼ぐ手段」と位置づけている。氷を足している間に、根本の二酸化炭素を減らせるかどうか。そこが問われている。

面白いのは、この単純な「水をまく」が、最先端の気候工学(ジオエンジニアリング=地球規模で気候に手を加える技術)の最前線にいることだ。難しい装置ではなく、冬の寒さという無料の資源をどう使い切るか。発想は素朴で、悩みは深い。

夏まで残らない氷を、それでも毎年積み増す価値はあるのか。答えはまだ氷の上で試されている途中だ。

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